あー、テレビなんてもう20年ぐらいちゃんと見てません。
今年で34歳です。
あんなもん見続けると馬鹿になると本気で信じてますw

でもね。

新ヤッターマン オープニング


ひでーなこれwwwwwwwww
いや、ヤッターマンそんなに思い入れなかったけどね。
っつーかリメイクっつーか音が外れてるんだよ、気持ち悪いだろこんなんwwwwwwwww

多分、これ歌った奴はこの曲聞く度に恥じてストレスで円形脱毛症になった挙句狂って死ぬ。間違いないw
こんなもん世間に出しちまってホントどうなっちゃってんのテレビwwww?w

2chじゃ、「山本正之」を老害だの一発屋だのってカキコがあったけど…

おまっ、なにをいってるんだ(;°ロ°)絶対日本人だったら彼の歌聴いたことあるっつーの俺の年代だけじゃないはずだ!
山本正之 - Wikipedia
1974年、『燃えよドラゴンズ!』で作詞・作曲デビュー。翌1975年、『ドラゴンズよありがとう』で歌手デビューを果たす。その後、ヒットソング『うぐいすだにミュージックホール』や『ひらけ!チューリップ』などの作詞・作曲を手がけ、テレビアニメ『タイムボカン』の音楽を担当したのが切っ掛けで、1970年代後半から1980年代前半にかけて、テレビや企画物の曲を数多く世に送り出した。

実は『タイムボカン』の主題歌は小林亜星と競作で、本人は駄目だと思い込んでいたが、当時のタツノコプロの社長・吉田竜夫が周囲の反対を押し切り、山本に決定したそうである。この決定を聞いた時、嬉しさよりもあんな大御所を敵にまわしてしまうのではないかという懸念から「大丈夫なのか?」と思ったそうだ。
主に歌手としてはやまもとまさゆき、山本まさゆきなどの芸名を使用し、作詞、作曲家としては本名、または遠田美穂等を使用している。音楽以外では、劇団「山本正之プレゼンツ」での舞台演出も手掛けている。
逆転イッパツマンとか最高じゃねぇか…なんでわかんねぇんだよ(つд・)

って…俺も老けたって事っすねwもう猛烈世間と価値観が合いません。
しっかし山本正之が老害扱いされる時代が来るとは…思いもしなかったなぁ…ちょっと心に刺さるわぁ…

痛いニュース(ノ∀`):【ヤッターマン】 主題歌作者の山本正之氏、世良のカバーに落胆…読売テレビ・プロデューサーの独断に戸惑いも
「もう放送にまにあいません。これでいきますので。」その声に落胆し、私は、無理に笑顔を作って、スタジオに背を向けた。

積もり始めた落ち葉の歩道を、時々空を見上げて、千歳船橋の駅まで、私は歩いた。30年の時を経て、またヤッターマンが、ファンのみなさまに届けられる、そこだけを、喜び、勇んでいた。誰が歌ってもいい、ドロンボーが、またブラウン管、いや、液晶やプラズマの画面で大暴れするんだ、と。

そこに、魔がさ刺していた。失敗をしたのは、むしろ、私だ。迂闊だった私だ。そう後悔させて、このオープニングは、世に出る。もしかしたら、ものすごく好評かもしれない。現在を知る若手の腕利きプロデューサーが完成させたのだ。私の目に何かのマスクがかかっているのであろう。そう自戒させて、このオープニングが、世に出る。私の悲壮の終結は、

「もうヤッターマンは、切り捨てよう」、とまで、落ちた。そして以降、読売テレビ制作側からの電話に、私が出ることは無かった。

しかし、すわくんが、私のこの自棄を、止めてくれた。あの、ヒューストンのNASAに着くまで、ホビー空港から乗ったタクシーの、フロントガラスの弾痕に恐れながらも、宇宙の始点への憧れを、共に望んだ、すわくんが、一生懸命になってくれた。「次までに、もっと会って、もっと話して、もっと考えて、もっともっと、ヤッターマンを愛します。」私は、邪気を払った。「もう一度考えよう、これからを、考えよう、ファンのみなさまの心を、考えよう。」、と。

タイムボカンの、ファンのみなさま、、どうぞ、たくさんのご意見を読売テレビに寄せてください。叱咤も、激励も、自由に送ってください。タイムボカンシリーズは、ファンがつくるテレビアニメーションであります。
結局、思い通りにならなかった、だけどそれを良しとして身を引いた。
でも、このままじゃいけないと思った。
だから自分か、製作サイドか、何が良くて、ファンが喜ぶか意見が聞きたいってことじゃねーか…全然老害じゃねぇよっ!もっと老害っつーのは醜いだろ!!!

年寄りがちょっと騒いだぐらいで老害、老害いうゆとりは敢えて言おう! カスであると!