一度決めてしまった決定がその後の自分を縛る事があります。

例えば「離婚」、パートナーの浮気やその他の理由で離婚をした女性が、その後明らかに経済的に貧困し生活環境の悪化から前よりも相対的な「不幸」な状態になった場合、

  「それでも結婚していた時よりは幸せ」

と主張することがあります。
しかし、離婚したことによって多くを失っているかもしれないという事実が精神的に自分を苛む。
その事実を直視することが出来ずに多くの間違った選択をしてしまう。

例えば「退職」、職場の軋轢や自分の評価で退職した人間が、その後明らかに経済的(以下略
例えば「不動産の購入」、一軒家を持つことが夢の家族が、都市部からかなり離れたところの分譲住宅をキツ目の不動産ローンで購入した場合、その後明らかに経済的(以下略

例えば「選挙」、まだ来てない未来への不安や、加熱報道の影響で、民主党に投票した人間が、その後明らかに経済的に貧困し生活環境の悪化から前よりも相対的な「不幸」な状態になった場合、

  「それでも自民よりはマシ」

と主張することがあります。
しかし、投票してしまったことによって多くを失っているかもしれないという事実が精神的に自分を苛む。
その事実を直視することが出来ずに多くの間違った選択をしてしまう。
例えば、民主党の打ち出す政策を盲目的に支持したりするとか。
ってか政治の話になると影響が出るまで時間がかかるから尚更でしょう。

僕の個人的な友人にも言えることだし、民主に投票しちゃってやっちゃったなーと思ってる人にも言えることだし、ますます過熱報道をして自浄作用が全く働いてないマスコミにも言えることだし、更に言えば、いろんな決定をしている自分自身にも言えることかと。


別に、その選択をすることを非難しているわけではなくて、そういう行動心理になって良ると言うことを指摘、分析しているわけですが−w
その「決定」したことが自分の精神状態を左右していること、例えばその「決定」に自分の意思以外の要素は入っていなかったか、その「決定」はそんなに正しかったのか。

と言うところまで掘り下げてですね。
自分が選択した「決定」は別に正しくも、間違ってもいない、と言うところに至ればー
その後新しい選択を、ニュートラルな状態ですることが出来るんじゃないかなと。

なんで、次の参院選はまだ、そのコミットメントに意志がホールドされてる人間が多数存在しているので「自民大逆転」みたいな事にはならないと思うし、僕自身はコミットメントに意志がホールドされないように「気をつけている」のでwブレブレだしw


逆の話を言えば、明らかに不利な事を相手に強いる場合は、こちらで決定するのではなくて「相手に決めさせるのが大事」ということ。

例えば別れたいパートナーが居ても自分から決定するのではなくて、相手に分かれることを決意させる事が重要。
高価な不動産を購入させるのもそうだし、その他様々なことがそうなんだなと。

いやw受け売りなんですけどねw

影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか
影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか

そうなんだなーと。そうかもしれないなーとw