気がする

もちろん気がするだけである、実際はビタイチ賢くなってないがーこの罠は自分もよくハマる
あれもダメーこれもダメーと言ってるだけで相手よりも賢くなれると思ってる奴がいる、決して自分のことでは無い、と言いたいが言い切れない部分もあるかもしれない

ここまではよくある話だと思うが、よくいるコメンテーターや識者なんかでもそういう奴が多いと思う

告白すると、何年か前、「勝谷誠彦」の有料メルマガを取ってたことがある
多分4年ぐらい、2005年から2009年の政権交代前ぐらいまで、自分にとってはイタい過去だ
自分にとってあきらかに違うな、という主張が鼻についたので取るのをやめた

その頃、自民が政権を取っていて識者は政界の裏話なんて物を小出しにして飯を食ってた
新宿の小さな寿司屋に行くとスポーツ新聞の記者がしたり顔で野球選手の裏話を語りながら飲んでいた

よくよく調べなければわからない事をさも当然のように語って批判するーこれがネットの進化によって裏話や批判などが世に溢れるようになってしまい
特に民主党政権になってからは酷く、叩けばホコリが出るどころか、ゴミ過ぎてどこから叩けばいいのかわからない、批判者も百花繚乱のごとく世間にあふれた

批判だらけの世の中になって、辟易
改めて、改善策、建設的ではない意見は聞く必要が無いと再認識した次第であるがー

そうすると不思議なのが
僕はテレビを見ない主義なのでまったく気にならないのだが、世間では報道番組やワイドショーなどで、やれ誰がこういった、とか、だれがこうしている、などと話題になる
ネットで知り合った友人などそういう番組を見ながらネトゲをして、なおかつ掲示板やツイッターなどに書き込んで楽しむらしい

そうすると、人々は、批判するためだけ、文句を言うため、だけで番組を監視するという事になるwそれはなんの為にしている行為なのか、まったくもって理解不能だ
まさか批判をしているだけの番組をみながら、それを批判するだけで賢いと思うためにそれを見ている、わけではないよ…ね?

何故なら視聴率の低い番組は続かないという
でも、明らかに尖った意見をいうことによって視聴者はどう思うかは置いといて視聴率が高くなるとしたらその番組は続くことになる
その視聴率、というのは意見を肯定的に捉えているのか、否定的に捉えているのかーはわからないだが、否定的に捉えているのであれば視聴しないことが最善手なのではないのだろうか
テレビが嫌いな僕がテレビを見ないように